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日本の一歩先で、静かに始まっていること
正直に言うと、私もあまり詳しくなかった。でも調べてみて、へえ、と思った。インドで、ギグワーカー——UberやZomato(インドの出前アプリ)で配達や配車をする人たち——に、国が社会保障を用意しはじめている。会社に雇われていない、単発で働く人たちに、健康保険や事故の補償を届ける。そういう仕組みが、法律ベースで動き出している。
日本でいえば、フードデリバリーや配車の運転手に、国が保険をかけるようなものだ。これは、なかなか大きな話だと思う。
まず、規模が桁違い
インドのギグワーカーは、とにかく数が多い。政府系のシンクタンク(NITI Aayog)の推計では、2024〜25年でおよそ1,270万人。それが、2029〜30年には約2,350万人に増えると見られている。日本の労働人口が7,000万人弱だから、その3分の1くらいの規模の人たちが、いま次々にギグワーカーになっている、ということだ。
これだけの人が、会社に属さず、アプリ経由で単発で働いている。当然、社会保障からはこぼれ落ちてきた。そこに、国が手を入れようとしている。
「ギグワーカー」を、法律で定義した
きっかけは、2020年に成立した「社会保障法典(Code on Social Security)」だ。これがなかなか画期的で、世界的にも珍しく、法律の中で「ギグワーカー」「プラットフォームワーカー」を、正式に定義した。そして、彼らにも、生命・障害の補償、事故保険、健康・出産、老後の保障を用意する、と定めた。
面白いのは、その財源だ。プラットフォーム企業(アグリゲーター)が、年間売上の1〜2%を、労働者のための福祉基金に拠出する。つまり、UberやZomatoのような会社が、自分のところで働くギグワーカーの保障に、お金を出す。国は、そのための土台をつくる。
e-Shram——国が、働く人を登録していく
その土台が、「e-Shram(イー・シュラム)」という、国のワーカー登録データベースだ。ギグワーカーがここに登録すると、健康保険(₹5 lakh=邦貨でおよそ80万円台)や、事故の補償(₹2 lakh=およそ30万円台)が受けられる。UberやZomatoなど主要12社は、2026年6月までに、自分のところのワーカーをこのe-Shramに登録するよう義務づけられた。
しかも、受給資格の決め方が、今の働き方に合っている。1つのプラットフォームで90日、または複数をまたいで合計120日働けば、資格が得られる。会社を一社に絞らず、あちこちで単発で働く——そういう働き方を前提に、制度が設計されている。
ただし、現実はこれから
とはいえ、絵に描いた通りには進んでいない。推計1,270万人のギグワーカーに対して、実際にe-Shramに登録できているのは、2026年半ばでまだ約120万人。1割弱だ。法律も枠組みもできたけれど、現場への浸透は、これからが本番、という段階だ。
それでも、と思う。「会社に雇われていない人の保障は、誰が担うのか」という問いに、インドは「プラットフォームが一部を負担し、国が受け皿をつくる」という、ひとつの答えを、法律として出した。うまくいくかはこれからだけれど、方向としては、はっきりしている。
そもそも、なぜ「企業を通じて」だったのか
ここで、少し引いて考えてみたい。これまで社会保障のお金は、たいてい企業を通じて集められてきた。給料から天引きして、会社がまとめて国に納める。会社が、いわば国の”出先機関”として、徴収を代行してきたわけだ。
なぜ、そうしてきたのか。国が、何千万人もの働く人、一人ひとりと直接向き合って、人数分の計算と徴収をやるのは、現実的に無理だったからだと思う。だから、労働者を束ねている企業に、間に入ってもらっていた。企業は、国と個人のあいだの、中継ぎ役だった。
でも、その「間」は、要らなくなるかもしれない
ここで、インドの話が効いてくる。ネットやデジタルID、といった社会インフラがIT前提で整っていけば、国は、個人と直接やり取りできるようになる。e-Shramは、まさにそれだ。個人を国のデータベースに登録して、給付を、ゆくゆくは徴収も、個人に直接ひもづけていく。
そうなると、企業を”間に挟む”意味は、実はどんどん薄れていく。効率化されれば、国と個人が、直接お金をやり取りできてしまう。これまで企業が担ってきた「代行」という役割も、変わっていくはずだ。中間にいた存在が、省かれていく。その大きな流れに、いち早く手をつけようとしているのが、インドのこの取り組みなのかもしれない。
中間を省いて、直接つなぐ
中間を省いて、国と個人が直接つながる。この流れは、たぶん社会保障だけの話ではない。ITが社会のインフラになったことで、これまで”あいだに誰かを挟む”のが当たり前だった仕組みが、直接でよくなっていく。
私たちも、企業と人が、仲介を介さずに直接つながる世界をつくりたい、とずっと言ってきた。領域は違うけれど、「中間を省いて、直接つなぐ」という根っこは、同じだと思う。インドの社会保障は、その大きな地殻変動の、分かりやすい一例なのかもしれない。
中間が省かれていく、その先へ
インドの実験は、まだ始まったばかりだ。登録も進んでいないし、課題も山ほどある。でも、その根っこにあるのは、「中間を省いて、国と個人が直接つながる」という発想だ。
これまで”間に企業を挟む”のが当たり前だった仕組みが、直接でよくなっていく。日本の少し先を、インドが走っている。これは対岸の火事ではなくて、たぶん、私たちの数年後の話でもある。