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国が、国民に「学び直しの元手」を配る
シンガポールに、「SkillsFuture(スキルズフューチャー)」という仕組みがある。ざっくり言うと、国が、国民一人ひとりに「学び直しのための元手」を配る制度だ。配られたお金は、国が認めた講座の受講料にあてられる。日本でいえば、国民全員の口座に「勉強代」が入っていて、好きなときにスキルを学べる、というイメージに近い。
へえ、と思った。会社が社員を教育する、という話はよく聞く。でも、国が、働く人個人に直接、学ぶための元手を渡す。そういう発想は、日本だとまだあまり馴染みがない。
中身を、少し具体的に
始まりは2015年。25歳以上の国民全員に、まず500シンガポールドル(およそ5〜6万円)のクレジットが配られた。これには有効期限がなく、所得や雇用の条件もほとんどない。働いていても、求職中でも、使える。
そこから、どんどん手厚くなっている。2024年には、40歳以上の中堅世代に、4,000シンガポールドル(およそ45万円)が上乗せされた。さらに「Level-Up」という仕組みでは、本格的に学び直すために長期の講座に通う人へ、月あたり最大3,000シンガポールドル(およそ33万円)の訓練手当が、最長2年分出る。2025年には、求職者向けに、半年で最大6,000シンガポールドル(およそ67万円)を支える仕組みも始まった。狙いは、「自分のスキルや経験を、もっと活かせる仕事に移れるように」だ。
そもそも、国はなぜ教育にお金を出すのか
ここで、少し根っこの話をしたい。そもそも、国が税金を使って教育を行い、国民を育てるのは、なぜか。それは、将来その人が働いてお金を稼ぎ、納税してくれるからだと思う。
教育を受けていなければ、仕事ができず、稼げず、納税もできない。だから国は、「最低限これだけ学んで知識を身につけておけば、働けるし、納税できる」という前提で、義務教育の費用を負担している。学ぶこと、働くこと、納税すること。この三つは、もともと一本の線でつながっている。
「スキルがなければ稼げない」に、国民が気づいている
シンガポールが面白いのは、この線を、大人になった後まで引き直していることだ。義務教育で終わりにしない。変化についていけなければ、もう稼げない。だから、大人になってからも学び直せるように、国が元手を出し続ける。
さらにいいな、と思うのは、「スキルがなければ稼げない」という原理原則に、働く国民の側がちゃんと気づいたうえで取り組んでいることだ。上から押しつけられてやる、のではない。自分のためだと分かって、学び直す。学歴をどれだけ持っているかより、変化に合わせて学び続けられるか。そっちのほうが効く、と、社会全体が腹落ちしている。
教育の「ありがたみ」は、薄れていないか
ひるがえって、思うことがある。いまの日本では、教育があまりに当たり前になりすぎて、ありがたみに気づきにくくなっているんじゃないか。
もちろん、教育は権利だ。ただ、教育のなかった時代の人から見れば、「学ばせてもらえるなんて、ありがたい」という話だったはずだ。それが時代とともに、「強制的にやらされる、嫌なもの」へと、受け止め方が移り変わってしまった。学べること自体が、どれだけ恵まれたことか。そこが、見えにくくなっている気がする。
学び直しは、続いていくサイクル
そう考えると、「学び直し」の意味が、くっきりしてくる。自分に投資して、もう一度スキルを上げる。そのスキルで働いて、給料を得る。そして、納税する。その人がまた学び直して、さらに稼ぐ。学ぶ・働く・稼ぐ・納める——このサイクルが、一度きりで終わらず、人生を通じてぐるぐると回り続ける。SkillsFutureは、その回転を、国の側から支える仕組みなんだと思う。
私たちも、人が学び、スキルを磨いて、企業と直接つながり続けられる場をつくりたいと思ってきた。学んだ力を、どの企業と、どうつなげていくか。領域は違うけれど、「学び続けて、働き続ける」人を支えたい、という根っこは、同じだ。
学び続ける人が、つながり続ける
シンガポールのやり方が、そのまま日本に当てはまるわけではない。国の規模も、事情も違う。でも、「学歴の一発勝負」から「学び続けられるかどうか」へ、という重心の移し方は、たぶん日本にも遅れてやってくる。
学ぶのは、自分。でも、その元手や場は、社会の側が用意していく。そうやって学び続ける人が、いろんな企業とつながり続け、稼ぎ、納め、また学ぶ。その健やかなサイクルの、一歩先を、シンガポールが走っている。